参田大樹 さんだだいき(11期生)

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ライフワークで写真を撮り続けている11期生の参田大樹くん。

インタビュー当日も昼休み時間の子どもたちを撮影したり、先生に依頼されて屋外の授業風景を撮影したりと大忙し。写真の話や12年間の学校生活、これからのことを伺いました。

目次

写真のこと

編集部 学校で配信しているPodcastの写真を提供してくださるなど、学校の行事でも大樹君が撮影した写真が多くありますが、写真に始めたきっかけは何でしたか。

大樹 もともと好きで実習などではよく撮っていましたが、12年に入って本格的に撮り始めました。アマチュアですが、うまく撮影できるようにいろいろと調べながら撮っています。学校の活動のなかでさまざまな場所に行き、たくさんの景色を見たことが、写真を撮ろうと思ったきっかけになった、ということはあるかもしれません。

編集部 今、学校には「大樹フォルダ」があるのはご存知ですか? 今号の写真はそのなかからも選んでいます。12年オイリュトミー公演の写真ではシュライヤーの動きにとても躍動感があります。

大樹 「大樹フォルダ」があるのは知っています(笑)。人物の動きのある写真は「来るなっ」と思って、待ち構えていて連写で撮りました。オイリュトミーの舞台は照明の色が頻繁に変わるので撮るのがとても難しく大変でした。でも、これまでは旅をして自然をたくさん撮っていたけど、人物もいいなと思うので、今後はポートレートもやってみたいです。

北海道までヒッチハイク

編集部 印象に残っている授業はありますか?

大樹 座って何かやるのが苦手なので、外に出て体育をやったり、何かを作ったりするのが好きでした。逆に、頭で考える授業は大嫌いでした。物理の授業でも、実験は好きなのですが、そこからの考察は苦手でした。

編集部 面白い先生はいましたか?

大樹 合場先生や和田先生の授業が好きでした。先生方の体験談、旅の話などがとても面白かったです。それに影響を受けて、自分も旅に出ました。

編集部 どこに行ったのですか?

大樹 11年の夏にクラスの友人と、東京から北海道の先端まで、1ヶ月かけてヒッチハイクの旅をしました。最初はドキドキでしたが、その経験が今でも自分の自信に繋がっています。 夏休み明けには戻らないといけなかったので、そこは怖かったですが……。野宿でしたが、知り合った向こうの方たちとご飯を一緒に食べたり、話をしたりするのが特に楽しかったです。見慣れない景色も新鮮でした。行きは、東京から北海道辺りまで帰省する人に乗せてもらえてラッキーでした。長い時には3時間くらい待つこともありました。一番しんどかったのは、北海道のシュタイナー学校交流会に参加するための時間調整で、土砂降りのため野宿もできず、サービスエリアで1日半を過ごしたことです。究極のヒマを味わいました。地獄でした。最終日には、外でソーセージを焼いていたおじさんが可哀想に思ったのかソーセージをくれました(笑)。本当に楽しく、少し怖い旅でした。今では絶対にできないような気がします。当時の勢いでした。

編集部 北海道のシュタイナー学校の方々とは交流があったのですね。賢治の生徒と北海道の生徒との雰囲気に違いは感じましたか?

大樹 交流会(※1)で知り合い、仲良くなった人たちの家に泊まらせてもらって遊んだりしました。「夜、海に遊びに行ってそこで寝よう!」と提案してくれて本当に面白かった。流木で家を作るなど、東京ではできないことができました。

※1交流会:全国のシュタイナー学校の高等部が集い、交流する。

卒業生が思う「賢治感」とは

編集部 12年間この学校にいて、学校は変わりましたか?

大樹 在学時、友人と「賢治感が無くなった」とよく話していました。僕らが小さい時の学童の先生はお母さんたちで、何人もいて、大鍋にパスタを作って「おやつ食べなさい!」とふるまってくれた。僕らは「遊んで!食って!」という感じだった。でも、今の子たちはおとなしい感じがします。

編集部 賢治感が良かった、という気持ちがあるのですね。

大樹 親と先生と子どもが一体になり、そこから生まれる勢いが好きでした。親も同じ場所で仕事をしていましたし。今の親の仕事の形態とは違うのかもしれないけれど「学校をもっと強く!強く!」と、みんなが仕事をしていたイメージがあります。その勢いが、子どもにとっても楽しかったです。

編集部 学校での遊びの内容は変わってきていますか?

大樹 一番印象に残っているのは、いろいろな学年の子たちと「ドロケイ」をガチでやったこと。本っ気のドロケイです。今の子たちはおとなしいなぁと。でも、さっきまで撮っていた昼休み時間のコマ回しは激しかったですよ。

編集部 卒業生として、これから学校にどのようになって欲しいと思いますか?

大樹 小学部のころ僕らが手つなぎ鬼をやった時に、外側にいる人は振り回されて危ないからやめよう、という話になりました。でも「危険だからやめよう」とたくさんのルールができてしまうのは嫌でした。少しくらいケガしたっていいじゃないですか。体験して覚えていくように遊べたらいいし、縛られずにいられたらと思います。

実習、そして将来に向けて

Photo by Daiki Sanda

編集部 賢治は実習や研修も多いです。

大樹 一番印象に残っているのは、12年生の時に行ったヨーロッパ美術研修です。いつもいる場所ではなくて、遠くに行ってみんなと過ごし、さまざまな体験をしました。

編集部 10年生で行う職業実習(※2)では、山口県の祝島に行きましたね。実習先は、どのようにして探したのですか?

※2 職業実習:10年生が各自で実習場所を決め、3週間職業体験を行う。

大樹 6、7年の時の自然体験学習(※3)で祝島に行った時にお世話になった方に紹介していただき、寝泊りもその方のところでさせていただきました。3週間で3人の漁師さんにお世話 になりました。1週目は蛸壺の漁師さんで「昔はいっぱいとれた」という話を聞いたりしました。蛸壺だけでなく他の漁も一緒にやっているので、その漁に一緒に行かせてもらったりしました。次の週はひじきをとっている方にお世話になりました。その人の生活自体が仕事みたいな感じになっているので、自分も仕事をしているという感じではなく、その生活に一緒に入れてもらい、ご飯を一緒に食べたり、自分は飲めないですが、お酒を飲んでいる場所にも一緒にいたり、そういうのを含めてすごく楽しかったです。今でも祝島の方々と付き合いがあるくらい、貴重な体験をさせていただきました。卒業後は漁師になろうと考えたりもしました。

※3 自然体験学習:6、7年生で行う実習。約2週間、食事作り・洗濯などを自分たちで行う。

編集部 在学中に思い描いていた卒業後の姿と、実際に卒業した後では変わりましたか?

大樹 卒業後のことは、最初なにも考えていなかったんです。でも周りが大学受験の話をしていると、自分も考えないと、と思い、その時に物作りのほうにいきたいと考えました。学校での作業や体験の影響があったのだと思います。そのあと12年生の終わりの頃にもう1度、祝島に行きました。その時にお世話になった漁師さんから真剣に「後を継がないか」と声をかけられました。その世界は大好きだったし、祝島の生活にも憧れていたので一気にそちらにシフトしました。しかし両親に相談したところ、止めはしなかったけれど後押ししてくれる感じがなく、何か違うのかと思い直しました。今考えてみると、当時の自分には焦りがあったと思います。その時に普段あまり口を出さない父親からぐっとくる言葉を言われて、もう一度考え直しました。その後もたくさん考える中で、小さい頃から興味のあった分野を思い出し、来年からその夢に向けて学校に通う予定です。

編集部 素晴らしいお父さんですね。私たちもそんな親になりたいです!今日は本当にありがとうございました。


言葉を選びながら、質問に丁寧に応えてくれた大樹くん。後日、大樹くんは「学校に行くと落ち着く」と話していたそうです。それを聞いた大樹くんのお母さんから「子どもが安心して学べる環境を支えてきた教師たち、保護者たちの働く姿が真っ先に思い出され、とても感慨深かった」と話を伺いました。たくさんの人の思いと行為でこの学びの場が成り立っています。卒業してもなお、写真を通して学校に関わり続けてくれている大樹くん、メッセージをくださった参田さん、ありがとうございました。

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