山崎詩雲 やまざきしおん(11期生)

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卒業式を3週間後に控え、12年生の日常は突然途切れました。先生方の心尽くしで、2月最後の登校日にオイリュトミー、エヴォエを高等部で披露し、3月学び舎から巣立ってゆきました。仲間と会えなくても、学校から離れていても、学校から届く「熱」に励まされる毎日。学校のウェブサイトから溢れる、情熱と新しい作品の数々は、先生と卒業生のコラボレーション。動画制作に関わる卒業生のひとり、山崎詩雲くんと、鳥山雅代先生にお話を伺いました。

鳥山雅代 休校中教師は、今後どうしていくのか、会議で毎日話し合いました。こういう状況でも、外に向けて発信できないかと考え、試しに私が動画を作ってみたのですが、とてもお粗末で……。去年のヨーロッパ美術旅行をまとめた動画がすばらしかった詩雲君に声をかけたところ、快諾してくれました。

山崎詩雲 卒業後海外に行くはずが、コロナ禍があり出発できなくなりました。編集を手伝ってほしい、と連絡があったので気軽に引き受けたら、撮影もすることになり、次々にアイデアが膨らんで、いろいろ配信していくことになりました。

雅代 内容は教師と彼とで考えて、制作しています。学内向けのポッドキャストでは、宮沢賢治や敏子先生※の人生を取り上げました。そして学校が現在に至るまでの道のり、先生方の20年間の歴史、未来像などを映像で残したいと、彼に教師全員のインタビューを撮ってもらった。彼は全員の人生を知っています。とても濃密に関わってくれました。

※鳥山敏子(本校の創設者。2013年10月逝去)

詩雲 卒業したばかりで、先生方の話はまだ客観視できなかった。でも改めて、1年生からの教育をすべて聞かせてもらいました。すべての授業からイベントまで全部を振り返ったのは、とても面白かった。その過程でいろいろなことを思い出し、細かくひとつひとつの行事を振り返った。8年までの担任の長谷川先生のインタビューの時には、特にそうだった。「そんな思いでやってくださったのか」と思うことがたくさんあり、話を聞けて本当に良かった。 敏子先生とは専科の授業でしか関わりはなかったが、とにかく、すごいな!の一言。敏子先生の言っていたとおりの学校になっていて。行動をするときの勢いがすごい。それ がこの学校を創っていったと感じた。

雅代 教師たちのインタビューを聞いて、なにが印象的でしたか?

詩雲 先生が、並々ならぬ努力でなさっていることが分かった。休校中もどの先生も休まず、一日中学校にいて、たくさんの作業をこなしている。教えることが好きというのがあると思うが、それだけではこなせない仕事量を毎日こなしている。初期のころはもっと仕事があったし、お給料はほとんどなかったと聞いた。本当に「この学校を作りたい」という思いと共にあったことを実感した。「先生たち、ヤバいな」と。(笑)

雅代 吹けば飛ぶような状態のときも、「熱」でやってきた。

詩雲 とてもそれが分かる。いろいろ厳しい状態の時があったし、生徒も少なかった。先生は教える以外の仕事もマルチにこなしている。先生なのか職員というのか、すべての仕事をこなしているのがとにかくすごい。

雅代 まだまだ準備中の作品がたくさんありますね。そして鳥山敏子映画も制作予定です。

詩雲 今、ホームページに上がっているのは、ほんの一部です。

雅代 12 年生の卒業時の振り返りで、「学校が大きくなると、本質的なものが失われそうな気がして嫌だ」と言っていたが、それはなにか体験したことで出てきた言葉でしたか?

詩雲 少人数、一定の規模だからこそ、できていた教育のように思う。生徒募集はもちろん大切だが、学校を大きくし過ぎると、目が行き届かなくなるのではないか。すべての先生が、どの生徒のことも分かっているからこそ、いろいろな面でサポートができるのではないか。規模が大きくなったら、良い面が失われるのではないかとの懸念があります。自分を知らない先生がいないことが貴重だと思う。ヨーロッパのシュタイナー学校は1000人規模で、だいぶ雰囲気が違いました。

編集部 担任の先生をとても尊敬しているようですが、嫌いになったことはなかったのですか?

詩雲 もちろんありました(笑)。今離れてみて良かったと言えるけど、当時はいろいろあり、怒られたし。卒業ギリギリまでとんがっていて、ご迷惑をおかけしました(笑)。今思えば、あんなに尖った人たちをよく卒業まで持ってくださったなと。生徒はもちろん、親に対しても、家庭でのことも見てくださって、すごいなと思います。5、6年の時はクラスに問題も多くて、それに対応するのも大変だったと思う。先生が近くにいたときも、そのことに気付いていたけれど、それを表に出すことはなかった。

編集部 反発していても、受け止められていると感じられたのですか?

詩雲 当時、どう思っていたかはよく分からないです。何があっても見放さないことがすごい。先生のなかで、8年までにどのような所まで育てるか、明確になっていたのではないか。高い志があったのだと感じます。

編集部 人数の多いクラスでも、先生の目が行き届いている感覚があったのですね?

詩雲 もちろん。でも人数が増えても同じクオリティーを保とうとすると、先生の負担を増やすことだと感じる。先生にとってとても大変なことだと思う。休み時間でもひっきりなしに行き来しているし。中にいた時は気が付かなかったが、一歩引いたところで学校にいて感じたのは、そのような先生方の姿。この状態で規模が大きくなったら大変過ぎると思う。生徒も変わってきているし、学校の認知の仕方も変わってくる。学校の雰囲気も。変わることが悪いことではないが、良かった部分が失われていく可能性があると思う。

編集部 なにがこの学校の良さであったと思いますか?

詩雲 「賢治感」が無くなってきている、とクラスのみんなで話していました。「シュタイナー感」が強くなり、「賢治感」が無くなってきていると。

編集部 「賢治感」とはどのような感じ? 「賢治感」に育てられた実感があるのですか?

詩雲 「賢治感」に育てられた。泥くさいところ。突拍子もないところ。ゴリゴリにいろいろやっていくところ、そんなところが消えつつあるのではないか。 泥くさいことをやる時、小さい頃と大きくなってからとでとらえ方や印象は違うが、楽しいと思っていた。「今夜天気がいいから、野辺山に天文合宿に行きましょう!」みたいなことは、今は、できると良いとは思わないけれど……ガッツが消えているのでは? それに付き合う親も大変だけど、それがあってこの学校が成り立ったのかもしれない。今は学校がしっかりしてきて、何もしなくても学校が成り立つ状況にあるからこそ、「賢治感」が無くなってきているのかな。もちろん親のせいであるというのではないけれど。以前はみんながやらないと、明日学校が無くなってしまう、という状況だったから。最近は安定しつつあるが故に、起こることなのかな。「賢治感」がない! と危機感を感じる生徒も、僕たちでギリギリかもしれない。

編集部 自分のご両親に対してはどんな思いがありますか? 先日の週末も詩雲君のご両親が、学校中のクーラーのお掃除をしてくださっていました。

詩雲 ずっとそれが当たり前に思っていました。クラスの親みんなが、積極的に学校の仕事を担っていた。誰から頼まれたわけではなく、必要だと考え、やっている。楽しんでやっている。今考えれば、休みの日にまですごいと思う。クラスの親が全体的に、わいわい楽しんでやる雰囲気がある。作業することで、一緒に学校を創ることを楽しんでいたのだと思います。

雅代 彼はこれから海外に出ていく予定ですが、これからも彼と私たちとつながって、どんどん作品を完成させていく予定です。どうぞ楽しみにしてくださいね。

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