1/27(土)12年生卒業演劇「白い病気」
スポットライトの中
ぼろぼろの服と包帯だらけの
レプラ患者が登場すると
会場の空気は一変し、
ぎりぎりと絞るような、深く、妥協を許さない、
そんな物語が始まることを予期させた。
こども達
とは、もう言えない。
ステージにいるのは
ただ全身全霊を燃やしている若者たちだ。
3時間を超える劇。
言葉や解釈は陳腐に感じる。
スパークする彼らを見届けるほかはない。
脚本選び、配役決め、裏方の仕事…
演じる以外にも、劇を作る作業は膨大だ。
舞台で彼らが役を生きる姿に圧倒されながら、
その裏に何倍もの力が注がれていることが伝わる。
それをクラス17人で決 断し、進めてきたのだ。
本番に至るまで様々なことがあり、
それぞれの感情が揺さぶられることもあったと聞く。
「捧げきることで受け取るものがある。
そのとき、すごく好きで幸せではないことだったとしても。」
後日、担任教師が語っていた。
だとしたら、彼らは間違いなく、捧げていたし、受け取っていた。
クラスの中でもあっただろう、
想いと想いの葛藤。
正義と正義の衝突。
それがそのままこの劇のテーマとシンクロして、
作り物を超えた真実として舞台の上に現れていた。
劇のあと、ロビーに並ぶ彼らの笑顔は清々しい。
重苦しさからは完全に解放されていた。
大きな舞台を終えるたびに、
やりきった彼らのあの表情がとびき り好きだった。
それを見るのが、大人として至福だった。
このメンバーでこの瞬間を味わうことは、もう二度とない。
こんなに美しいものがあるだろうか。
切なく、泣きたくなる。
夢のような世界から、もう2週間になるのか。
劇が終わってしばらくは
自らの想いや仲間のエピソード、後日談を語ってくれていた息子も
1週間を過ぎる頃になると、
「もうその話はいいんだよ」と話題を変えるようになった。
残像を振り返っているのは、私も含め大人たちばかりだ。
バトンは大人たちの手に渡っている。
「おれたちは、やったよ。」という彼らからのバトン。
それが私には、「で、大人たちは?」と聞こえる。
劇は12年の集大成でもあり、スタートでも あったのだろう。
彼らは既に、全速力で走りぬけている。
濃く、ただ濃く「今」を刻みながら。
あたかも、それは劇のエンディング、
それぞれの意図に向かって
ステージという一つの場から
駆け抜けていった群衆のように。
(12年保護者)
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